文字の寄せ集め

つれづれなるままに、日ぐらしパソコンに向かいてカタカタ

雨の日のあの匂い

雨が降った時の土っぽい匂いを petrichor というらしい。あの匂いに名前があるなんてと、初めて知った時にはいたく驚いたものだ。こんな単語、学校でも習わない。私の周りにこんなのを知っている人はいない。大学で4年間英語を学んだ者でなければ到達しえない語彙の極致に、ついに私も至ったのだ——完全に有頂天だった。数年後、米津玄師さんの曲で petrichor という言葉は人々の知るところとなった。みなさん、ようこそ極致へ。

 

日本語は雨に関する表現が豊富だというのは少し有名な話だ。春雨や氷雨、篠突く雨、狐の嫁入りなんていうのもある。降る雨ごとに細かな差異を見出して、何かにたとえたり季節に合わせた名前で呼んだりする。風流っていうやつだろうか。日本語のそういうところ好きです。

 

『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳)という本で、世界には実にマニアックな単語が存在していると知った。いくつか例を挙げる。

  • commuovere (涙ぐむような物語にふれたとき、感動して、胸が熱くなる/イタリア語)
  • ikutsuarpok(だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること/イヌイット語)
  • hiraeth(帰ることができない場所への郷愁と裏切りの気持ち/ウェールズ語

 

ためしに手元の『伊和中辞典第2版(小学館)』(電子辞書)で commuovere を引いてみたところ、「感動させる、心を動かす」くらいの意味しか出てこなかった。きっと本当は上に書いたような意味があるのだろうが、日本語に変換する際に翻訳しきれなくて削ぎ落とされてしまう部分があるのだ。送電ロスならぬ翻訳ロスとでも呼ぼうか。

 

わざわざ名前を付けたということは、その現象がそこの人たちにとって身近なものであったり、大切なものであったりと、何かしらの意味を持っていたというわけだ。イタリア人はよく感動していたのかもしれない。していそうだ。イヌイットの人たちは誰かに会うのを待ち望んでいて、ウェールズの人たちは祖国を忘れられなかったんだろう。

 

翻訳できないということは、その概念を端的に、そして十分に言い表す言葉が、他の言語には存在しないということだ。その言語にしかない言葉、その言語にしか生まれなかった言葉、いうなればアイデンティティだろうか。こういう「翻訳できないことば」にこそ、その民族の心や辿ってきた歴史が詰まっているような気がする。自分たちの歴史を言葉で記録するだけではなく、言葉そのものの中にも記録しているのだ。

 

地球上には、現在に限っても数千の言語があり、それぞれの言葉を使っている人たちがいる。それは自分たちとは違う道筋を辿ってきた人たちがいるということであり、この星にいくつもの歴史が流れてきたということでもある。言葉について考えていると世界の広さと時間の長さを感じる。

 

この広い世界と長い時間のなかで、そこにしか生まれなかった言葉、「翻訳できないことば」こそ、語彙の極致なのかもしれない。
ちなみに『翻訳できない世界のことば』には「積ん読」も載っていた。そう、これもまた極致だ。