川と廃駅と桜
家からそう遠くない公園に桜を見に行った。ちょっとした名所のようだ。住宅街の中を流れる小川に沿って数種類の桜の木が植わっている。どれがどれだかはわからない。
川沿いの桜は綺麗なものだと思う。水の流れの清らかさと桜色の華やかさが一緒に楽しめる。また、桜の木が何本も連なっているので、見る角度によっては手前の木とその奥の木、そのまた奥の木と枝や花が重なって見え、桜色の密度がぐっと高くなる。
桜の花に目を奪われる一方で、葉や新芽にも同じくらい見入ってしまう。まだ柔らかでこれから成長せんと顔を輝かせている葉や新芽が何とも可愛らしい。
すでに何年も生きてきた幹や枝も、かつては新芽だった訳である。逆に今の新芽が将来大きな枝になる可能性もある。今の枝は昔の新芽で、今の新芽は未来の枝。そう考えると一本の樹に過去と現在と未来が同居しているように感じ、時間の概念が揺さぶられるような不思議な感覚に陥る。
帰り道、もう一ヶ所寄ることにした。今度は知る人ぞ知るお花見スポットだ。廃駅の線路沿いに桜が咲いていて、川沿いの桜と同じ原理で綺麗だった。
廃駅、いわば死んだ駅に生命力溢れる桜が咲き誇っている。生と死のコントラストに心惹かれた。