文字の寄せ集め

つれづれなるままに、日ぐらしパソコンに向かいてカタカタ

百年むかし、近いとみるか、遠いとみるか

北九州市の小倉に行ってきた。かつて4年ほど過ごしていた街。懐かしさで息が詰まって窒息するかと思った。小倉駅は何やら工事をしていた。ここは常にどこかしら工事してるな。

北九州市で好きな場所はいくつもあるのだけれど、図書館とか住んでいたアパートとか、そういう生活圏を除くと「門司港レトロ」が好きである。歴史を感じさせる洋館や港の開放感が気に入っているのと、定期的に各種イベントの会場になっていてちょくちょく行ったのである。

いざ門司港レトロへ。電車で最寄駅の「門司港駅」へ向かう。途中に「門司駅」があって非常にややこしい。

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一年ほど前に門司港駅で降りたときは工事中だった。本当に駅は工事だらけだな。駅舎全体を柵やシートで覆ってあり、たしか駅舎を建設当初の姿に戻す工事と書いてあった気がする。今の駅舎は2代目で、1914年建設だそうである。時を100年戻す工事か。

それはすごいのだけど、実は私は工事が始まる前の、つまり現在の姿をろくに見ていない。なので、どこがどう元に戻ったのか私には決してわからない。ビフォー・アフターを比較できないのだ。

ここでふと思った。この場においてビフォー・アフターとは何であろうか——工事の前後という意味であれば、着工前がビフォーで工事完了後がアフターなのは明らかだ。しかし今回の工事は「駅舎を昔の姿に戻す」ものなので、外観の面ではむしろ着工前(現在の姿)がアフターで、工事完了後(昔の姿)こそがビフォーなのではないか。時間の概念が揺さぶられるような不思議な感覚に陥る。

 

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かくして今回訪れた門司港駅は、工事を終え、柵やシートの類を外し、5月の空の下「昔の姿」をお披露目していた。どこが変わったのかわからなくても、当人が変わったと言うのだから変わったのだろう。驚いた顔をして「見違えたよ。綺麗だね」と褒めそやすに限る。

実際に綺麗だった。内装も外装もシックな色合いに統一してあり、高級感が漂っている。1階と2階を結ぶ木造の螺旋階段には、一段一段に赤絨毯が設えてある。今にも瀟洒なドレスを身に纏ったご婦人方が歩いて降りてきそうじゃあありませんか。

その螺旋階段の下のスペースに、何やら小さい部屋のようなものが備え付けてあった。「旧 自働電話室」との案内書きがある。当時、公衆電話を設置していた部屋だそうだ。それはいいのだが、案内書きをよく読んでみると気になる一節が目に留まった。

「手前には壁掛けの電話機があり、奥には機械室があったとみられています。」

「みられています」。推測の表現である。自働電話室がどれほど普及していたのか知らないが、「恐らくこうであったのだろう」という形でしか再現できなくなるほどに情報が残っていなかったのだ。この駅舎に流れた時の重みを感じるようである。

100年。長い時間なのは間違いない。しかし一方で、現在日本には100歳以上の方が7万人近くいらっしゃるそうで、そう考えると人間にとって計り知れない時間ではないわけだ。ちなみに現在長寿世界一の方は116歳だそうで、福岡県生まれ、福岡市在住の女性である。

同じ100年前でも、「100年前には自働電話室というものがありましたが、詳しい情報は残っていません」と言うのと、「ひいおばあさんは100年前に生まれたんだよ」と言うのとではだいぶ違って聞こえる。

時間というのは常に同じ速度で一定の方向に流れているわけでもないのだな。またしても時間の概念が揺さぶられるような不思議な感覚に陥る。時について考える機会を得たので、今回の旅行はとても有意義だったと感じた。