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つれづれなるままに、日ぐらしパソコンに向かいてカタカタ

ダイヤモンドは自己申告

ダイヤモンドには色の付いたものもあると聞いたことがある。調べてみたら透明以外に12色あるらしい。赤いダイヤモンドとルビーは何が違うのだろうか。何をもってダイヤモンドをダイヤモンドと決めるのだろう。
構成成分か。産出場所か。宝石は地中で高温や高圧に晒され続けてできるらしいが、その温度や圧力の違いだろうか。

ふと、自己申告という可能性に思い至った。

 

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古い地層から採集した石を机に並べて検分していると、何やら赤いものが見えた。手にしてみると握り拳ほどの石に綺麗な赤い欠片がしっかり嵌っている。

ルビーだろうか。ガーネットだろうか。いや、ここで採れるとは聞いたことがない。何でも良いが、綺麗だから大切に持っていよう。

もっとよく見ようと目の前まで近づけたところで声が聞こえた。
「こんにちは。ぼくはダイヤモンドです」

石が喋るなんて初めてだ。しかもこれがダイヤモンドだなんて。

「ははぁ。君、それはおかしいよ。ダイヤモンドは透明なはずだ。君は何か思い違いをしているんじゃないか」
「いいえいいえ、ぼくはダイヤモンドです。ぼくたちの中には赤や青のものもいるんですよ。ご存知ないのですか?」平気な口調で石は続ける。「驚かれるかもしれませんが、全部で十二種類くらいの色があります。みんな綺麗なんですよ」
「いいか。ダイヤモンドは透明だ。どう見たってお前はダイヤモンドではない。色ガラスにしか見えん。十二色などと出鱈目を言って。そうやっておれをからかっているんだろ」

いつだってそうだ。どいつもこいつもおれを騙して、陰口を叩いて、笑い合う。同じ石に十二も色があってたまるか。

「そうは仰いましてもね……。そうだなあ……失礼ですが、あなたは人間という生き物ですか?」
「そうだとも。何を急に……そうか、嘘が続かなくなったものだから話を変えようと言うのだな。何とも小癪な」
「本当にあなたは人間ですか? ぼくにはあなたはサルに見えます」
「何を言うか、おれは人間だ! 色ガラスめ、言うに事欠いて人をサル呼ばわりとは何たることか!」
「では、」
ではも何もあるか。この耳障りなガラス玉を叩き割ってやろうと振り上げたが、頭の上で言葉は続いた。
「では私にそれを証明してください」

思わず手が止まる。
「証明だと……」
「そうです。あなたがサルではなく人間だと言う、その証拠を私にください」
「そんなもの必要あるか。人間のおれが人間だと言っているのだから十分だ……そうだ、言葉を喋っているじゃないか。サルに言葉は話せまい」
「人間には分からないだけでサルも喋っておるかもしれません。それに、さっきから私だって言葉を話しているじゃあありませんか」

ああ言えばこう言う煩い石だ。今度こそ粉微塵にしてやる。
「ほう、言葉が尽きて暴力ですか。言葉を持つのが人間ではなかったか」
興奮して息が上がる。ゆっくりと腕を下ろし、石を机に戻した。
「『おれがそう言うからおれは人間だ』、ふむ。それならば私がそう言うから私はダイヤモンドということになるな?」

戦慄が走る。思わず頭を抱えてうずくまる。おれのもう一つの、最悪の失言に思い至ったからだ。

「色ガラスに見えるから色ガラス、だったか……ところでお前は、はて、何に見えるかな」

紅の瞳がおれを見据える。顔が上げられない。小石らしからぬ圧だ。小粒の石に言い負かされた屈辱で頭は燃えるようである。
はじめにこいつの言うことを真に受けてダイヤモンドということにしておけば、こんな目には遭わなかったのだろうか。

「……言葉はどうした。なんとか申してみよ、■■」

口を固く閉ざして、身を縮め、その圧と熱とをじっとじいっと耐えていたら……

 

とうとうおれはダイヤモンドになってしまった。

そもそもウサギでなくていい

「おおい、君。急で悪いが、何か可愛い生き物のアテはないか? 今度の祭りのマスコットにしたいんだ。イヌとかウサギとかさ。詳しいって聞いたぞ、そういうの」
詳しいかどうかはわからないが、任された以上しっかり務める気持ちです。まあウサギでいいならウサギにしよう。
「子どもに危害を加えなくて、法的に問題がなくて、世間一般のイメージが悪くなければなんでもいいから。ひとつ任せたよ」
ウサギでいいな。
任された私は森へ歩き出す。さて、可愛くて無害なウサギはどこかな。

 

目当ての森に到着。茂みをチラリ。ウサギがピョン。すぐに見つかった。実は私は「ウサギ探し名人」なのだ。

 

まずは一羽。よく見るとアマミノクロウサギではないか! 奄美大島と徳之島の2島にのみ生息する特別天然記念物。個体数およそ2,000から5,000の希少価値の塊だ。マスコットとしてこれ以上ない逸材である。これは幸先がいいぞ。

 

奄美大島でも徳之島でもないこの森に存在している理由はわからないがまずは確保、と伸ばした腕がピタリと止まる。
待てよ、特別天然記念物を捕まえてはいけないのではないか? たしか捕獲を禁止する条例がある。これはいけない。法的に問題がないのも注文のうちだった。

 

諦めて次のウサギへ。名人はへこたれずにウサギを探すものです。

 

ほどなくしてもう一羽。これはイナバノシロウサギではないか! 日本神話に名高いウサギ。まさに神がかり的僥倖! 知名度特別天然記念物を上回り、捕獲を禁ずる法もなし。

 

隠岐の島でも因幡の国でもないこの森に存在している理由はわからないがまずは確保、と伸ばしたがピタリと止まる。
待てよ、イナバノシロウサギのイメージはどうだ? ワニを騙して海を渡った逸話からは好印象を抱けない。世間一般のイメージが悪くないのも注文。また諦めるか……

 

……でも、と私は思う。条例を変えるのは難しくても、世間のイメージは変えられるんじゃなかろうか。イナバノシロウサギは肩身が狭くなくなってハッピー、私はウサギを連れ帰れてハッピー。Win-Win。イナバノシロウサギに決めた。

 

さて、印象を良くするにはどうしたものか。ワニさんたちのもとへ行って一緒にごめんなさいをするか。それもいいが、それで世間が納得するだろうか。印象が変わるだろうか。「謝罪なんていくらでもできる。心の中はわからないぞ!」そういう声もあろう。ならば仲直りの握手もつけるか。握手したから何だと言うのだ。仲直りの食事会、反省文、ボランティア……どれも違う。

 

その時、私の頭に飛来する禁断のアイデア——古事記の改ざん。都合の悪い事実は抹消するのだ。事実がどうあれ、それが表に出なければいい。太安万侶古事記を編纂して元明天皇に献上するより前にもみ消すのだ!

 

なにはともあれ時間遡行だ。これでみんなも喜ぶぞ!

 

「おーい、どうしたー。マスコットはみつかったかー?」
森の入り口から呼ぶ声がする。いつまでも私が帰らないから呼び戻しに来たんだ。
「愛嬌があって合法で無害ならそれでいいから、あんまりこだわることはないよ」
でも古事記を書き換えて、事実をもみ消せば! そのために光の速さを……
「何を言っとるかわからんが、考えすぎなくていい。その辺で適当に捕まえてくれればいいんだ」
……仕事だしな。依頼主がそう言うなら仕方ないか。
まあ君かな、と、その辺にいた賢そうなウサギを連れて、来た道を戻ることにした。

 

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仕事でも遊びでも、私は往々にして以上のような事態に陥っている。目的と手段が入れ替わってしまうのだ。ひとつの手段にこだわり、それを実現するための方策探しに没頭してしまう。困るのはなんとか実現できそうな時である。完全に実現不能となればそこで引き返すが、少しでも可能性があるうちはズンズン進んでいってしまう。結果、かなりアクロバティックなプランを創造することになる。

 

何事にも実情に即した手段が必要である。時間遡行はだめだ。まずはイナバノシロウサギに対する意識調査から始めよう。

新しい五十音表

先日外食に行った際、隣の席から賑やかな声が聞こえてきた。家族連れで、小さい子どもが二人いた。3歳くらいの妹と、少し上のお兄ちゃんだった。

女の子の方を「めいちゃん」としよう。めいちゃんは元気で良く喋る女の子だった。「めいちゃんあれ食べる」とか「おかあさんにあげる」とか始終そんな風で、言葉を話せることが嬉しいといった具合だった。

しばらくすると、めいちゃんは覚えかけの「あいうえお」を声高に繰り返しだした。
「あ・い・う・え・お! あ・い・う・え・お!」
興が乗ってきためいちゃんは、ア行以外にも挑戦しだした。
「た・き・つ・せ・の! た・き・つ・せ・の!」
実際に何と言っていたかは覚えていないが、だいたいこんな感じだった。少なくとも母音だけはあっていたことを覚えている。

 それを聞いたお母さんは、はじめに一度だけ「たちつてと、だよ」と訂正していたが、それ以上の指摘はしなかった。このお母さんがどういう気持ちでいたかわからないが、私はこの子の自由な五十音を微笑ましく思った。正しいタ行が言えなくとも、めいちゃんは日本語の5つの母音と、五十音表における母音の並びを理解しているのである。今はそれで十分だと思うのだ。タ行はまた今度覚えたらいい。

 

タ行とかハ行とかいう形で音を分類する仕組みは、なかなか複雑だと聞いたことがある。たとえばハ行と聞けば、「h + 母音」という風に、同じ子音をもった音の集まりだと考えるだろう。h の音に a をつければ『は』、h と i で『ひ』、以下略、ということである。しかし実は「は」は口の奥の方で出す音で、「ひ」は口の中央あたり、「ふ」は唇というように、発声に用いる部位が異なっているのである。

タ行も同様に、「た」「て」「と」の3音は同じ場所で発生するが、「ち」と「つ」はそれぞれ異なるらしい。ヘボン式のローマ字でタ行を綴る際、ta chi tsu te to となるが、「ち」と「つ」の子音が異なっているのはそういう理由だそうな。

タ行といって一括りにしておきながら、その実、子音がバラバラであるということが、外国人の日本語学習者は難しい要素らしい。「た」の音の子音のまま「ち」を発音するので「てぃ」になり、「つ」は「とぅ」になる。どこの人にとっても外国語を学ぶのにはいろいろな壁がありますね。

百年むかし、近いとみるか、遠いとみるか

北九州市の小倉に行ってきた。かつて4年ほど過ごしていた街。懐かしさで息が詰まって窒息するかと思った。小倉駅は何やら工事をしていた。ここは常にどこかしら工事してるな。

北九州市で好きな場所はいくつもあるのだけれど、図書館とか住んでいたアパートとか、そういう生活圏を除くと「門司港レトロ」が好きである。歴史を感じさせる洋館や港の開放感が気に入っているのと、定期的に各種イベントの会場になっていてちょくちょく行ったのである。

いざ門司港レトロへ。電車で最寄駅の「門司港駅」へ向かう。途中に「門司駅」があって非常にややこしい。

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一年ほど前に門司港駅で降りたときは工事中だった。本当に駅は工事だらけだな。駅舎全体を柵やシートで覆ってあり、たしか駅舎を建設当初の姿に戻す工事と書いてあった気がする。今の駅舎は2代目で、1914年建設だそうである。時を100年戻す工事か。

それはすごいのだけど、実は私は工事が始まる前の、つまり現在の姿をろくに見ていない。なので、どこがどう元に戻ったのか私には決してわからない。ビフォー・アフターを比較できないのだ。

ここでふと思った。この場においてビフォー・アフターとは何であろうか——工事の前後という意味であれば、着工前がビフォーで工事完了後がアフターなのは明らかだ。しかし今回の工事は「駅舎を昔の姿に戻す」ものなので、外観の面ではむしろ着工前(現在の姿)がアフターで、工事完了後(昔の姿)こそがビフォーなのではないか。時間の概念が揺さぶられるような不思議な感覚に陥る。

 

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かくして今回訪れた門司港駅は、工事を終え、柵やシートの類を外し、5月の空の下「昔の姿」をお披露目していた。どこが変わったのかわからなくても、当人が変わったと言うのだから変わったのだろう。驚いた顔をして「見違えたよ。綺麗だね」と褒めそやすに限る。

実際に綺麗だった。内装も外装もシックな色合いに統一してあり、高級感が漂っている。1階と2階を結ぶ木造の螺旋階段には、一段一段に赤絨毯が設えてある。今にも瀟洒なドレスを身に纏ったご婦人方が歩いて降りてきそうじゃあありませんか。

その螺旋階段の下のスペースに、何やら小さい部屋のようなものが備え付けてあった。「旧 自働電話室」との案内書きがある。当時、公衆電話を設置していた部屋だそうだ。それはいいのだが、案内書きをよく読んでみると気になる一節が目に留まった。

「手前には壁掛けの電話機があり、奥には機械室があったとみられています。」

「みられています」。推測の表現である。自働電話室がどれほど普及していたのか知らないが、「恐らくこうであったのだろう」という形でしか再現できなくなるほどに情報が残っていなかったのだ。この駅舎に流れた時の重みを感じるようである。

100年。長い時間なのは間違いない。しかし一方で、現在日本には100歳以上の方が7万人近くいらっしゃるそうで、そう考えると人間にとって計り知れない時間ではないわけだ。ちなみに現在長寿世界一の方は116歳だそうで、福岡県生まれ、福岡市在住の女性である。

同じ100年前でも、「100年前には自働電話室というものがありましたが、詳しい情報は残っていません」と言うのと、「ひいおばあさんは100年前に生まれたんだよ」と言うのとではだいぶ違って聞こえる。

時間というのは常に同じ速度で一定の方向に流れているわけでもないのだな。またしても時間の概念が揺さぶられるような不思議な感覚に陥る。時について考える機会を得たので、今回の旅行はとても有意義だったと感じた。

赤い防護服の彼女たち

世界は光に満ちている
私たちを照らす光
私たちを慈しむ光
私たちを、射抜く光



世界の光が弱弱しく、まだ大気が冷え切っていた頃、やがて生まれる彼女たちは固く身を寄せ合っていた。凍える風から守り合うように、固く固く身を寄せ合っていた。

世界の光が柔らかく、穏やかな熱を帯びた今、彼女たちは顔を上げ、精一杯に手を広げ、この世界に産声をあげる。ひとつひとつの小さな命が、世界と私たちの祝福を受ける。

彼女たちの笑い声がする。この世の危険も恐怖も知らない、天真爛漫な笑い声。光を浴び風にさらされ煌めきを放つ、天使のような笑い声。だがその天使たちの身を包むのは純白の衣ではなく、赤い防護服である。私たちを射抜く光——「外なる光」と呼ばれる有害な光線から彼女たちを守る赤い防護服。「外なる光」は幼い彼女らの体を傷つけ、成長を阻害する。この防護服なくしては彼女たちは大人になるまで生きられない。
この世界の全てが彼女たちに優しいわけではない。そんな残酷な真実をまだ知らない彼女たちは、凶悪な光線を全身に浴びながら、心から楽しそうに日々を過ごしている。真っ白な心で、一瞬を懸命に。かつて私たちがそうであったように。

どうか。どうか一人も欠けることなく、彼女たちが大人になれますように。



あれから幾日が過ぎただろうか。
世界の光は荒荒しく、地上に熱を振り撒いている。水と空気と光とで生きている私たちには恵みの時期だ。
16になった彼女たちは私たちと同じ深緑の衣を纏っている。それは一人前の証。もう「外なる光」に怯えなくてもいいという赦しの印。彼女たちの体は十分に強く美しく成長し、赤い防護服はその役目を終えた。これからは同じ水を飲み、同じ空気を吸い、同じ光を浴びて生きていける。
真新しい衣に身を包む彼女たちの姿は眩く、頼もしい限りだ。彼女たちとこの時期を迎えられたことを、私たちは心から嬉しく思う。

どうか。どうか彼女たちと過ごす日々が、いつまでも穏やかに続きますように。

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新芽や若葉が赤いのは紫外線から身を守るため、という話から想像を膨らませた結果がこれである。葉が十分に成長すると赤色がなくなって光合成を始めるのだそうだ。若葉が「彼女たち」と女性扱いなのは、イタリア語で「葉」がfogliaという女性名詞だから。赤い防護服、真っ白な心、深緑の衣でイタリア国旗の色になっているのは偶然。16で緑になるのは、16歳は高校生になる歳で、「高校生」と「光合成」をかけている。

そういえば恩田陸さんの『六番目の小夜子』の冒頭も、こんな風に何かを「彼ら」と喩えている文章だった。また読みたくなってきた。

好きな色

「何色が好き?」
難解な問いである。考えてみても、その時々によって答えが変わる。ある時は緑がかった青や淡めの青を選び、ある時は黒の混じった鮮やかな赤を綺麗だと思い、またある時は穏やかな緑を眺めていたくなる。

私の持ち物、特に文房具を見てみると圧倒的に水色が多かったので、青系統の色を好んでいるのは間違いない。ただ家具はテーブルから寝具一式に至るまで白ばかりだ。部屋を訪れた人は「まるで病室だ」という感想を述べていた。たしかに病室の無機質で無味無臭な感じは好きだ。いっそカーテンも真っ白にしようか。

どうやら私は基本的に青が好きなわけだが、その時の気分によって求める色が変わるのも確かである。優しい気持ちの時、あるいは優しくなりたい時には緑に惹かれ、疲れたり落ち着きたい時には白に目が向く。また、文房具や家具の例から分かるように用途によってこれと決めた色があるらしい。

色の種類を調べていた時にこのようなサイトを見つけた。
 色の名前


様々な色の名前が載っている。ピンク、赤、黄、緑、青というように系統別に分類してあり、眺めているだけで楽しめる。ちなみに私が好む「緑がかった青」というのは、このページで探してみるとターコイズだとかアラベスク・ターク、ヴェニットという名前がついているようである。アカデミー・ブルーやエイプリール・ミストのような少しくすんだ青も好きである。

何はともあれ何色が好きかという難問には、束の間の逡巡の後、青色と答えることにしている。

幻の金色のウサギ

「おおい、君。急で悪いが森でウサギを捕まえてきてくれないか。得意だって聞いたぞ、こういうの」
確かに得意だ。そして一番目か二番目に好きな仕事でもある。まさに適任。
「体長40センチくらいのならどれでもいいから。一羽。任せたよ」
任された私は森へ駆け出す。こんな仕事が舞い込んでくるなんて今日はついてるな。

この時期にウサギということは、さてはイースターの準備だな。そんなことを考えながら森の茂みに目を凝らす。せっかく私に任せてくれたのだ。「ウサギ探し名人」としては、やはり可能な限り最高のウサギを連れ帰りたい。

さて、この場における「最高のウサギ」とは何か。そこから始めなければならない。イースター用のウサギということは、子どもたちにイースター・エッグを届ける「イースター・バニー」を担うウサギということだ。ならばまずは大役を果たしうる責任感が求められる。次いで、きちんと卵を配り終えるだけの体力と要領の良さ、それから子どもに好かれる愛嬌も欠かすことはできない。経験者であれば文句なし。

名人のプライドと凝り性な性格とで、理想はいやに高くなる。これは森の奥まで分け入らないといけないな。

ずんずん森へ入っていくと、立派なウサギが見つかった。足の速いウサギに賢そうなウサギ、人懐っこくて可愛らしいウサギ。いずれもイースター・バニーとして申し分のない子たちである。もう十分だろう。

……でも、と私は思う。そうじゃないんだ。私が連れ帰りたいのは、みんなが待っているのは、「最高のウサギ」なんだ。私なら見つけられるはずだ。もっと、もっと探さないと……

その時、木立の間に光る影が——全身を金色に輝く毛で覆われた、ルビーのような紅い眼のウサギが、じっとこちらを振り返り、森の奥へと消えていった。幻の金色のウサギだ!

あれだ、あのウサギだ! 追いかけないと! これでみんなも喜ぶぞ!

「おーい、そこまで行かなくていい、戻ってこーい」
森の入り口から呼ぶ声がする。いつまでも私が帰らないから呼び戻しに来たんだ。
「大きさが良ければそれでいいから、あんまりこだわることはないよ」
でも金色が、金色がそこに!
「金色じゃなくていいんだ。その辺で普通のを捕まえてくれればいいんだ」
……仕事だしな。依頼主がそう言うなら仕方ないか。
まあ君かな、と、賢そうなウサギを連れて、来た道を戻ることにした。

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職場の人に対して以上のようなたとえ話をした。エクセル好きな私が、エクセルの仕事を頼まれると完璧を求めてひた走ってしまうことについて、である。言いたいことは伝わったようだった。おまけにハハハと笑ってくれた。

もっともエクセルばかりが私の仕事ではないので、実際にはもう少し力の入れ方や優先順位を考えている。このたとえ話は多少大げさにしている部分もあるが、気を抜くと今日も「幻の金色のウサギ」を追いかけそうになる。