文字の寄せ集め

つれづれなるままに、日ぐらしパソコンに向かいてカタカタ

赤い防護服の彼女たち

世界は光に満ちている
私たちを照らす光
私たちを慈しむ光
私たちを、射抜く光



世界の光が弱弱しく、まだ大気が冷え切っていた頃、やがて生まれる彼女たちは固く身を寄せ合っていた。凍える風から守り合うように、固く固く身を寄せ合っていた。

世界の光が柔らかく、穏やかな熱を帯びた今、彼女たちは顔を上げ、精一杯に手を広げ、この世界に産声をあげる。ひとつひとつの小さな命が、世界と私たちの祝福を受ける。

彼女たちの笑い声がする。この世の危険も恐怖も知らない、天真爛漫な笑い声。光を浴び風にさらされ煌めきを放つ、天使のような笑い声。だがその天使たちの身を包むのは純白の衣ではなく、赤い防護服である。私たちを射抜く光——「外なる光」と呼ばれる有害な光線から彼女たちを守る赤い防護服。「外なる光」は幼い彼女らの体を傷つけ、成長を阻害する。この防護服なくしては彼女たちは大人になるまで生きられない。
この世界の全てが彼女たちに優しいわけではない。そんな残酷な真実をまだ知らない彼女たちは、凶悪な光線を全身に浴びながら、心から楽しそうに日々を過ごしている。真っ白な心で、一瞬を懸命に。かつて私たちがそうであったように。

どうか。どうか一人も欠けることなく、彼女たちが大人になれますように。



あれから幾日が過ぎただろうか。
世界の光は荒荒しく、地上に熱を振り撒いている。水と空気と光とで生きている私たちには恵みの時期だ。
16になった彼女たちは私たちと同じ深緑の衣を纏っている。それは一人前の証。もう「外なる光」に怯えなくてもいいという赦しの印。彼女たちの体は十分に強く美しく成長し、赤い防護服はその役目を終えた。これからは同じ水を飲み、同じ空気を吸い、同じ光を浴びて生きていける。
真新しい衣に身を包む彼女たちの姿は眩く、頼もしい限りだ。彼女たちとこの時期を迎えられたことを、私たちは心から嬉しく思う。

どうか。どうか彼女たちと過ごす日々が、いつまでも穏やかに続きますように。

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新芽や若葉が赤いのは紫外線から身を守るため、という話から想像を膨らませた結果がこれである。葉が十分に成長すると赤色がなくなって光合成を始めるのだそうだ。若葉が「彼女たち」と女性扱いなのは、イタリア語で「葉」がfogliaという女性名詞だから。赤い防護服、真っ白な心、深緑の衣でイタリア国旗の色になっているのは偶然。16で緑になるのは、16歳は高校生になる歳で、「高校生」と「光合成」をかけている。

そういえば恩田陸さんの『六番目の小夜子』の冒頭も、こんな風に何かを「彼ら」と喩えている文章だった。また読みたくなってきた。