文字の寄せ集め

つれづれなるままに、日ぐらしパソコンに向かいてカタカタ

言語について

同性で同年代の人たちとは、私はことごとく趣味が合わない。興味関心の方向性が違うらしい。同級生たちが歳相応の遊びを覚えていく一方で、私の心は言語に向かい続けていた。小学校の終わりにイタリア語に惹かれ、中学から独学で勉強を始めた。高校では英語に力を入れ、大学は英米学科に進学。現在は英語にまつわる職に就いている。

 

外国語、とりわけヨーロッパの言葉が好きなようで、アルファベットの並びを見ると無性にワクワクしてくる。そして読みたくなる。英語はまあ読めるし、とても簡単なイタリア語なら読めなくもない。英語とイタリア語を応用すれば、フランス語も単語の意味くらいは解る。こともある。イタリア語とフランス語は、同じラテン語から生まれたきょうだいなのだ。
余談ですが、英語の語彙は、その6割がフランス語およびその元となったラテン語由来なのだそうな。英語本来の語彙は全体の4分の1しかないということで*1、それを知ってから英語辞典を英語辞典と呼ぶのを少しためらう。

 

単語を眺めていると不思議な気持ちになってくる。アルファベット一文字一文字では何の意味も持たないはずなのに、それが集まった途端に意味を成すのは何故だろう。'c'と'a'と't'が並んでいると「ああ、猫だな」と感じるのはどうしてだろう。

 

小さい子どもの頃はアルファベットの言葉は全て同じに見えたものだった。映画のタイトルや絵本の挿絵などで見たアルファベットも、「日本語とはぜんぜん違うなぁ。知らない国の言葉だなぁ」くらいにしか感じなかった。しかしそんないい加減な認識の一方で、「こんな言葉を使っている人たちが世界のどこかにいるんだ」と、世界の広さを感じ取ってもいた。「日本語ではない何か」が、絵本の中のメルヘンチックな世界と相まって、「ここではない何処か」に通ずる鍵のように感じられたのだった。

 

「ここではない何処か」
実に魅力的な響きだと思う。もしかすると私は、ここではない何処か、メルヘンの世界への憧れを忘れられなくて言語に触れ続けているのかもしれない。